『すくすく子育て』では、2回にわたり、子どもの虐待について考えます。
番組が行った、虐待についてのアンケートには、数多くの切実な声が寄せられました。
その中には、「体罰」に関する悩みも見られました。
2019年、親がしつけに際し体罰を加えることを禁じる法案が可決され、2020年4月から施行されます。しかし、子育て中の親たちからは、困惑の声も上がっています。
「イライラがつのってたたいてしまった」
「今までしつけだと思っていたことが虐待になっちゃうの?」
「子どもがかわいいと思う気持ちと、イライラしてしまう気持ちがどちらも高まってきている気がしていて、この先、手をあげない自信はない」
『体罰禁止』で子育てできるのか、専門家と一緒に考えます。
専門家: 大日向雅美(恵泉女学園大学 学長/発達心理学) 玉井邦夫(大正大学 心理社会学部 臨床心理学科 教授/臨床心理学)
今回のテーマについて
手をあげた親も苦しい。手をあげずに育てることを一緒に考えていきましょう。
コメント:大日向雅美さん 一度も手をあげずに育てている人は少ないと思います。でも、手をあげたとしても、やはりその親も苦しんでいる。何とかして手をあげずに育てられないかということを一緒に考えてみたいと思います。
虐待を、黒か白かに分けるための法律ではありません。
コメント:玉井邦夫 今回施行される法律は、子育て中の方にとっては不安があるかもしれません。ですが、この法律は、親のしつけを虐待か虐待でないか、つまり黒か白かに二分して、子育て中の親を罰するためにできたわけではなく、子どもへの虐待をなくすことを目標として掲げたものです。その点を冷静に考えていきましょう。
体罰は必要ですか?
番組では、子育て中のみなさんに体罰についてのアンケートを行いました。「子どものしつけに体罰は必要ですか?」という質問に「不要」が63%、「時と場合によって必要」が37%。「体罰は必要」と答えた人はいませんでした。
しかし、「子どもをたたいたことはありますか?」という質問では、1歳以上の子どものパパママのうち、71%が「ある」と答えています。
体罰は不要と思っていても、実際には手をあげてしまう。
そんな現状に悩んでいる人も多いようです。
虐待を含む不適切な関わり方(マルトリートメント)は3つのゾーンに分けられます。
解説:大日向雅美さん 虐待には、身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト、性的虐待などの種類があります。そうした種類とは別に、レベルで整理する考え方があり、「マルトリートメント」(大人の子どもへの不適切な関わり)と呼ばれています。その深刻さによって3つのゾーンに分けられています。 ※文部科学省「養護教諭のための児童虐待対応の手引」より レッドゾーン(要保護) 深刻な虐待です。子どもの命や安全を守るため児童相談所などが関わる必要があります。 イエローゾーン(要支援) 軽度な虐待です。問題をさらに悪化させないために、さまざまな支援機関が連携して支える必要があります。 グレーゾーン(要観察) 誰もが足を踏み入れやすいゾーンです。虐待とまではいきませんが、地域の支援機関などが見守ることが場合によって必要です。 グレーゾーンは誰にも起こりうることです。一生懸命に育児をする中で、かわいさといらだちが相乗的に増していき、つい手をあげてしまうことがあるかもしれません。これは虐待とまではいかないので、レッドゾーン・イエローゾーンとは明確に分ける必要はあります。 しかし、「グレーゾーンだから大丈夫」とは言い切れません。グレーゾーンでも、育児の環境や条件が悪化したり、育児の中で感じるいらだちや苦しさから手をあげてしまったときに「これはしつけだ」と正当化したりすることなどが重なると、坂を転がり落ちるようにイエローゾーンに陥っていくこともあります。
法改正で体罰禁止が盛り込まれたのはなぜ?
なぜ、今、体罰禁止の法律が出来たのか、その背景を磯谷文明さん(弁護士)に聞いてみました。
解説:磯谷文明(日本子ども虐待防止学会副理事長/弁護士) 親による体罰を禁止した改正児童虐待防止法と改正児童福祉法が2019年6月に可決され、一部を除き2020年4月から適用されます。この改正の大きなきっかけは、相次いで起こった深刻な虐待死事件でした。 実際の虐待の現場では、「しつけの名を借りた暴力」があります。こうしたケースでは、深刻な虐待が疑われても、親が「しつけとしてやっている」と主張し、児童相談所の職員など、必要な支援が介入できないこともありました。そうした中で、社会的議論が高まり、体罰禁止に向けて法改正が行われたのです。 このような「子どもへの体罰禁止」という流れは世界的なもので、現在58か国(2020年1月現在)が法制化しています。国際連合から、日本の対策強化を求める勧告も出されていました。 ただし、この法律には罰則規定はありません。体罰を禁止するのは、体罰をした親を責めるためではなく、社会全体で体罰という手段から脱却して、体罰に頼らない子育てができるようにするためです。そのために、子育てで困っている親を、いかに社会や周りのみんながサポートできるかが問われると思います。
「子育てをひとりで抱え込まないように」というメッセージ。
コメント:玉井邦夫さん 親子や家族は、いちばん大事なプライベートの部分です。その中に法律が入ってくることに、違和感があるかもしれません。しかし、命を落としてしまうような深刻な虐待になると、行政や支援の手が、それぞれの家庭のプライベートに介入せざるをえません。そういったケースのための法制化なのです。 日本では諸外国に比べると法整備が遅れています。一方で、「子育ての責任は親にある」という考えが根強い、親が孤立しやすいといった現状があります。この法改正は、親を罰することが目的ではなく、子育てを1人でやらなくてもいい、大変なときには「大変だ」「助けて」と言っていいのだということを伝えることが趣旨だと思います。
体罰は子どもにどんな影響を与えるの?
体罰は子どもにどのような影響を与えるのでしょうか。立花良之さん(児童精神科医)は「体罰が親子関係を揺るがしてしまうことが問題」だといいます。
解説:立花良之(国立成育医療研究センター こころの診療部 乳幼児メンタルヘルス診療科 /児童精神科医) 子どもが体罰を受ける中で「自分は親から愛されていない」「親は自分のことを大切にしてくれない」という思いを抱くようになってしまった場合、子どもが基本的な安心感を持ちづらくなることがあります。子どもが健やかに成長する上で欠かせないのが『安心感』です。これは、親からの愛情が子どもに伝わることで得られますが、体罰によって伝わりにくくなってしまいます。 また、体罰によって他の人に対する攻撃性が増したり、情緒が不安定になったりすることもあります。中には、自尊心が低下してしまい、「自分なんかいなきゃいいんだ」と、幼い子どもでも死にたい気持ちが強くなるようなケースもあります。 体罰の影響を考えるとき、子どもがどう感じるかという視点に立つことが最も重要です。
「罰」は「それがダメ」ということしか伝えない。
コメント:玉井邦夫さん 当たり前のことですが、体罰は苦痛です。苦痛なことは誰だって避けたい。大人は、「こんなに痛い目を見るのだから、もうやめなさい」という理屈ですが、罰の怖さというのは、「それはダメだ」ということしか伝えないことです。それでは、「これからどうすればいいのか」は伝わりません。 罰だけを与えられた子どもは、罰を避けることだけを考えるようになります。そして、「愛されたい」「認められたい」という方向にいくのに、どう動いていいかわからないという状態に追いやられていきます。これは、子どもが生きていくうえでとても苦しい状態です。 体罰によって低くなってしまった自己肯定感は回復しますが、そのためには「よい経験」をたくさんする必要があります。でも、「回復するのだからいくらたたいても大丈夫」という免罪符ではないということはしっかりと押さえておかなければなりません。
レッドゾーンやイエローゾーンとグレーゾーンは切り分けることが必要です。
コメント:大日向雅美さん 医師や弁護士の方が扱っている事例だけを聞くと、きっと親はとても怖くなると思います。「私この間ちょっとたたいちゃったけど、あんなふうになっちゃうの?」と。でも、医師や弁護士が関わるそういった事例は、先ほど申し上げたレッドゾーンやイエローゾーンに入ります。そこはグレーゾーンとは分けて考えることが必要かと思います。
気持ちを抑えきれず、我が子を思い切りたたいてしまった(視聴者の体験より)
長女がイヤイヤ期に入ったころ、第二子を妊娠。つわりで苦しむ中、次第に自分の気持ちを抑えきれなくなりました。イヤイヤがひどいと言葉で叱りつけたりどなりつけたりすることが増えました。
私自身は幼いころ、親から厳しい叱責や体罰を受けて育ちました。つらい記憶しかなく、決してまねしたくない子育てでした。しかし、自分に余裕がなくなると、長女のささいないたずらにも、どなったり、軽く小突いたりするようになりました。
ある時、体調が悪くて横になっていると、長女がふすまを破っていました。カッとなって、思わず長女につかみかかり、気がつくと力任せにたたいていました。私に余裕がないばかりに、思い切り頬をたたいて、肩をつかんで、どなり上げてしまった。その時の娘の顔が、頭から今も離れません。気持ちを抑えきれず、我が子を思い切りたたいてしまった自分自身が怖くなりました。
一度手を出すと、どんどんエスカレートするのではないかという恐怖もあり、このままではいけないと悩んでいたとき、たまたま地域の保健師から一本の電話がかかってきました。思い切って悩みをすべて話したところ、育児のサポートを受けられるようになりました。
今、子どもに手を上げることはありません。しかし、報道される虐待事件を見るたび、ひとごとではない、と感じます。自分ももしかしたらあっち側だったかも知れない。もしかしたら虐待には、そういったいろんな背景があるのかもしれないと思うようになりました。
適正なサポートがなく、そのためにお母さんがらくなり、しんどくなりすぎて、手をかけてしまったことも、もしかしたらあるんじゃないかと思います。私も、もしかしたらそうなっていたかもしれないと思うのです。
(2歳8か月 女の子、2か月 男の子のママ)
手をあげたことを「しつけのため」と正当化しないことが大切。
コメント:大日向雅美さん これほど苦しんでいるお母さんを誰が責められるでしょうか。子育てを必死にやっている中で、追い込まれて 手をあげてしまう親たちを、社会は責めてはいけないということです。 この方は、グレーゾーンからイエローゾーンに落ちていかない、と私は思いました。ご自分がなさったことをきちんと見つめる強さをお持ちだからです。決してそれを「しつけのためにやった」と自分を正当化していない。ここが大切なポイントだと思います。
子育てでは誰もがイライラする。だからこそ人に頼る。
コメント:玉井邦夫さん 子育てでは、「誰でも余裕がなくなりイライラしてしまう」と思うことが大切です。誰でもそうだからこそ、力を貸してもらえばいいのです。とにかく自分と子どもとの世界に閉じこもらずに、他の親をたくさん見てほしい。すると、自分だけが子育てが下手なわけじゃないということがきっと分かってくると思います。
「体罰」と「しつけ」について
番組アンケートには、体罰は避けたいという声の一方で、「体罰は時と場合によって必要だと思う」という声も届いています。
「口で言って分からないなら多少の体罰は必要だと思います。社会に出たら上下関係もあるし、そこで困らないようにしつけをしています。今は理解されなくともきっと大人になったらたたいた理由を分かってくれると思います」
「体罰をしないのは理想かもしれませんが、子どもが大人をなめてしまったりしませんか?」
子どもを一人の人間として尊重する姿勢が必要。
コメント:大日向雅美さん 確かに子どもに口で言って分からないことは多いんですよ。でも子育ては、動物の調教ではありません。そしてもう一つ、子どもならなぜ言うことを聞かせる、分からせるためにたたいていいと思うのだろうか、大人同士だったらどうなのだろうかと考えてみるとよく分かります。 例えば、考え方の違う妻に対して、夫が分からせようとたたけば、それはDVです。あるいは外国の方が、言葉が通じない、マナーやルール、文化が違う。だからといってたたいては、これは犯罪になりますよね。 私たちは、子どもを一人の人間として尊重し、リスペクトする姿勢が必要です。
それは体罰ではない。行動で伝えることが必要な場合もあります。
コメント:大日向雅美さん 子どもが急に車道にとび出すなど、命に関わるようなとき、必死になって手を強く引いたり、「ダメ!危ないわよ」と大きな声で叱ったりすることもあるでしょう。 それは体罰ではなく、ノンバーバルコミュニケーション(言葉ではなく表情や声、行動などで伝える方法)だと思います。こらしめようとして肉体的苦痛を与えているわけではありません。命を守りたいということを行動で伝えているのです。
体罰でしつけをしようとしたけどうまくいかなかった(視聴者の体験より)
人をたたいてはいけないということを、痛みで教えようとしましたが、長男の乱暴はますます激しくなり、友達にも手を出すようになりました。
体罰でしつけることに限界を感じて、地域の保健センターの5歳児健診で相談してみました。その後、支援機関につながり、どうしたら体罰をつかわずに子どもに伝えられるのかを専門家と一緒に探れるようになりました。例えば、長男を主人公にしたイラストを描き、してはいけないことを絵と言葉で説明するようにしました。
自分がしてしまった後で考えたことですが、私がしていた体罰が、長男から友達や弟、動物への乱暴につながってしまっていたような気がしています。
その時は「たたかざるをえないからたたいている」という気持ちでしたが、それで解決することは何もないと思いました。
(5歳、2歳 男の子のママ)
「ダメ」とあわせて何が「OK」なのかをしっかり伝える。
コメント:玉井邦夫さん まずは、それをしては「ダメ」というメッセージだけではなく、何をすると「OK」なのかをしっかり伝えることです。子どもに、これは「OK」という選択肢をどれだけつくってあげられるかということを考えることが大切です。 友達をたたいてしまったときには、「たたいたらダメ」と言うだけではなく、「お友達にこうしてあげればよかったね」と一緒に考えてあげることが必要だと思います。
体罰やマルトリートメントと「しつけ」は子どもにとっては似ている。
コメント:玉井邦夫さん 「しつけとして体罰は時には必要」という考え方は根強いと思うのですが、まず基本的に体罰はしつけではありません。残念なことに、子どもにとって「体罰やマルトリートメント(大人の子どもへの不適切な関わり)」と「しつけ」はとてもよく似ています。「なぜ自分が親のいうことを聞いて、それをしなくてはならないのか意味が分からない」「親がどうしてこんなことを言うのか意味が分からない」というところが似ているのです。 しつけというのは、子どもの発達段階と密接な関係があります。理解力や体力に見合ったことを要求するのが「しつけ」です。「ごはんをきれいに食べなさい」と、2歳の子に厳しく言っても、それは発達段階に合っていないのでなかなかできない、ということになります。
体罰によらないしつけのポイント
コメント:玉井邦夫さん 体罰によらないしつけのためには、以下の3つのことが大切です。 〇子どもの理解力に合ったことを伝える 〇どうしたらよいか具体的に伝える 〇言うことに一貫性があり、時と場合によって大きくぶれない すると、子どもは、「大人の強い力は、僕を脅かすためのものじゃなくて、僕を守ってくれるための力だ」ということを感じ始めます。 「子どもは言うことを聞く生き物」という間違った認識に立って、子どもに言うことを聞かせようと、勝ち負けを争うのではなく、いかに子どもの目線に降りられるかが大事です。勝ち負けにこだわらず、負けてあげられる自分にプライドを持てたほうがいいと思います。
子育ての「き・そ」を考える。記憶の「き」と想像の「そ」。
コメント:大日向雅美さん もっと子育ての『き・そ』を考えたいと思います。 『き』は記憶について。今回は「子どもに手をあげてしまう」ことが大きなテーマでしたが、実は私も子どもをたたいてしまったことがあります。長女が3歳のとき、子どもは何も悪くないのに私に余裕がなく、たたいてしまった。疲れていました。そのときの手の痛み、この記憶を忘れずにいくことが大切だと思います。 もう一つは『そ』、想像。例えば、子どもをたたいてしまったとき、子どもは「どんな気持ちで自分を見ているだろうか」と想像し、「なぜ聞き分けがなかったのだろうか」と考える。これが子育ての記憶と想像、『き・そ』です。 親が1人きりで子育てしなきゃ、しつけもしなきゃ、と頑張らなくてもいいのです。みんなの力で頑張ることで、子育て中のママパパが法律で縛られるような気持ちにならずにいられる、子育てのあり方を築けていけたらいいなと思います。
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